第一赤道儀室、三鷹で越えた1世紀 – JPN
第一赤道儀室、三鷹で越えた1世紀
国立天文台三鷹キャンパスにある第一赤道儀室は、1921年3月31日の完成から、今年で100年を迎えました。
かつて麻布飯倉(現在の東京都港区麻布台)の崖上にあった東京天文台(当時)は、観測環境が悪化したことなどから、明治の終わりには東京府北多摩郡三鷹村への移転を決めていました。その三鷹村大沢の河岸段丘上に位置する現在地に、観測施設を順次建設していた1921年3月、そのうちの一つである第一赤道儀室が完成したのです。同日、本館などほかの建物も完成しましたが、その後の火災や取り壊しで現在は存在しないため、第一赤道儀室は三鷹キャンパスに現存する最古の建物となっています(参考1)。
近年、元職員の子孫より寄贈された資料の中に、完成から間もない第一赤道儀室と思われる珍しい写真がありました。ドームやガラス窓、階段など、第一赤道儀室は現在でも建設当時とほぼ同じ姿をしていることが分かります。外観上変わったところとしては、後年、太陽熱の影響を和らげるためにドームが白く塗装されたことでしょう。またよく見ると、入口の庇(ひさし)の柱が2本、上側に貫通していたようです。興味深いのは、階段の入口の周りにある竹垣です。何のためだったのでしょうか。これ以上に大きく変わったのは建物の周囲の状況です。現在はうっそうとしたやぶに囲まれた第一赤道儀室ですが、建設された当初は開けた更地に建っていたことが分かります。
第一赤道儀室には、当初は麻布から引っ越してきたトロートン赤道儀が設置されましたが、その様子を撮影した写真は知られていませんでした。先に寄贈された古い資料には、トロートン赤道儀を収めた第一赤道儀室内部の鮮明な写真がありました。その写真を見ると、コンクリートの壁面やドームの鉄骨構造といった造りもまた、現在とほぼ同じであることが分かります。鉄骨構造は、溶接ではなくリベットを用いて接合されています。なお、このトロートン赤道儀は、現在は三鷹キャンパスにはなく、上野の国立科学博物館で展示されています。
1923年9月1日の関東大震災では、第一赤道儀室のドームに被害があったことが記録されています(参考2)。1927年、トロートン赤道儀はツァイス製20センチ赤道儀に入れ替えられました(参考3)。このツァイス製赤道儀を使った太陽黒点のスケッチ観測が、熟練した観測者により1938年から1998年に至るまで行われていました。その60年もの長い期間、第一赤道儀室も任を果たしてきました。このツァイス製赤道儀は今も健在です。
1998年からは、太陽の黒点観測は三鷹キャンパス最奥部に設置された新しい望遠鏡で行われていて、現役の観測施設から退いた第一赤道儀室とツァイス製赤道儀は、見学のために公開される施設として現在に至っています。第一赤道儀室とツァイス製赤道儀の永く変わらない姿を見て、「小学生の時に遠足で来た覚えがある」と話す高齢の見学者もおられます。
2002年、第一赤道儀室は国の登録有形文化財となりました。三鷹の地に座して100年、第一赤道儀室はこれからも変わらぬ姿をとどめることでしょう。
文:小池明夫(国立天文台 天文情報センター)
出典:国立天文台ニュース